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【スピットファイア】Battle of Britain 1940【ハリケーン】 [転載禁止]©2ch.net

1 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 13:24:03.59 ID:0ydrzOuf
1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。

If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

Day 107 ? 24th October 1940
FIGHTER COMMAND SERVICEABLE AIRCRAFT AS AT 0900 HOURS:
Blenheim   38   Spitfire   229  Hurricane  420  Defiant   12 Gladiator   8
Total   707
http://battleofbritainblog.com/page/2/

表3−3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群           機種別中隊数
     スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター  計
第10群  2(4)   2(4)    (1)            (1)     4(10)
第11群  6(7)   13(14)   3(2)                 22(23)
第12群  5(6)   6(6)    2(2)    1(1)           14(15)
第13群  6(3)   6(8)    1(1)    1(1)           14(13)
 計   19(20)  27(32)   6(6)     2(2)      (1)     54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
 航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。生産量の六五%がハリケーン、
三五%がスピットファイアであった。ちなみに、全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%をスピットファイアが占め、ハリケーンが
三三%ほどであったから、スピットファイアのほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107−108頁 >

2 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 13:30:14.73 ID:/1lJXiMe
−P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。
「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6〜7機
の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」
タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、
あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか?
 いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。
議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。
−それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか?
 12機なら1機、多くても2機だな。もしも6〜10機のヤクに対し、12〜16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。
それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、
いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html

3 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 13:32:23.10 ID:A8oAXN4O
サフォーノフは2機を落とし、3機目に襲いかかったのですが、そこで雲の中から出てきたメッサーシュミット
の攻撃を受け、海へと落下したのです。友軍機はヴァエンガに駐留していました。ただ、飛行機と言っても
実情はどうでしょう?30機か40機がいただけです。その後になって、イギリスからハリケーンが供与される
ようになりました。けれども、本当に馬鹿みたいな飛行機だったよ!どうしてか分かるかね?ドイツのメッサー
シュミットBf109は、簡単にハリケーンを落としてしまったんだから。イギリス人は黄金と引き換えにハリケーン
を送ってきたのです。私たちは、イギリスで作られている他の飛行機を供与してもらうべく交渉を始めました。
しかし、チャーチルは結局それを断ったんですね。一方、ルーズベルトは私たちに「コブラ」を送ってくれました。
いい飛行機だったけれども、ベアリングの調子が今ひとつ思わしくなかった。私たちはこれを伝え、
アメリカ人も改修を施したので、それから我が国に供与されるようになりました。後に、ポクルィシキンも
コジェドゥープもこの機体でメッサーシュミットを落としたのです。エアラコブラというのは、あれは本当に
いい飛行機でしたよ。ルーズベルトはきちんとした人だった。アメリカ人の中でも、ハリマンとホプキンスは
とりわけよく私たちを助けてくれました。彼らは[ソ連に]やって来て、ロシアを支援すべきだと報告したわけです。
それで、ルーズベルトは支援を行った。たくさんの飛行機、戦車もたくさん送られてきました。一方のチャーチルは、
自分がいらないものをみんな送りつけてきただけです。私たちは80トン近い金を引き渡しました。けれどもこれ
らの金は、船で運ぶ途中にほとんどみな沈んでしまったのです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda74.4.html

4 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 13:35:22.36 ID:Stn2DU4K
 ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。 
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、
それに反対の見解をとっている。
 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない
ものだったとの考えを表している。
 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター
はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、
英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。
 全体的には、52−60パーセントのロシア人が、第二次世界大戦参戦国の国民に対して無関心であることが分かった。
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/

5 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 14:11:01.01 ID:yNhB93mC
>>1
> Yes................................ 85%

ナチスの巧みな宣伝工作で、米国民はイギリスの勝利を正しく知ることができなかった。

6 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 18:18:31.49 ID:pqYQWkbl
 フィンランド軍は、ソ連側の要求を一蹴し、準備不足のソ連軍の弱みをついて、猛烈に反撃した。
「わが軍のほとんどの将兵は、フィンランド軍に木っ端微塵にやっつけられた」と、フルシチョフは
後に記している。これは誇張ではない。この冬季戦では、フィンランド兵四万八〇〇〇人に対し、
ソ連側は実に一二万五〇〇〇人以上の将兵を失っている。フィンランドは、ソ連政府に心理的
にも打撃を与えた。フルシチョフは続けて言う。「ドイツは、ソ連の実態が、粘土のような脆弱な
足を持つ巨人、であることを見て取った。フィンランドが、あのような抵抗を続けられるのなら、
力のあるドイツが強力な一撃を食らわせば、この巨人は簡単に倒れると、ヒトラーは考えたに違いない。
フィンランドに敗れ、スターリンは慌てふためいた。これではとうていヒトラー軍に対抗できないと、
完全に自信をなくしてしまった」。結局フィンランドは、ソ連の提示した最初の条件を呑むことになるが、
この戦争の経緯は、スターリンの期待を大きく裏切るものであった。
 スターリンは後に、チャーチルとルーズベルトに対し、フィンランド作戦について「赤軍は、全く役に立たなかった」
と漏らしている。結果的に、ヴォロシロフ国防相は解任された。このようにスターリンは、事が不首尾に終わると、
すべての責任を他人に転嫁した。この行動パターンは、その後も彼が苦境に立たされるたびに、繰り返し見られた。
作戦がずさんな計画の産物であり、フィンランドのマンネルハイム線の防備が、予想以上に強固であったのに、
それを察知できなかった自国の諜報機関の失態、自動火器や防寒具の不備、補給線が絶たれたことなどが
敗因であると、スターリンは言い張った。
 スターリンとは全く対照的に、ヒトラーは、ポーランド作戦が、その後のドイツ軍の一連の勝ち戦のほんの序章
だったことを証明して見せた。一九四〇年四月から六月にかけて、ドイツ軍はノルウェー、デンマークを占領し、
オランダ、ルクセンブルクを席巻した後、ベルギーに攻勢をかけ、マジノ線を突破してフランスに突入した。
フランスがあっけなく陥落すると、スターリンは悔しさのあまり、つばを飛ばしてまくし立てた。
<「モスクワ攻防戦」 アンドリュー・ナゴルスキー>

7 :名無し三等兵:2015/10/28(水) 20:01:37.44 ID:n4/ijLWE
日本軍は、緒戦では圧倒的な航空優勢を持って
マレーやビルマを占領できた。
加藤隼戦闘隊が、軍神と尊敬されて部隊歌も大ヒットするくらい。
なにせイギリス軍の航空隊が、旧型のブリストル・ブレニムしかなかったからな。
スピットファイアどころか、ハリケーンもボーファイターもいない。

ただ肝心の加藤建夫が、旧式もいいとこのブレニムに
撃墜されて死亡してしまって
開戦半年で日本軍の快進撃は停まってしまった。

8 :名無し三等兵:2015/10/28(水) 20:50:51.27 ID:sIhTpHWK
イギリスは、対日戦はオナザリもいいとこ
イギリスの航空機の増強についてはビルマ、マレーは最下位
対独戦や対伊戦どころか、ソ連へのレンドリースより下位
スピットファイアなんか、1943年にチュニジアでドイツとイタリアが降伏してから
不要になった砂漠仕様の旧式XCがやっと回ってきたくらい後回し。

しかしブレニムに撃墜される、日本のエースパイロットって情けない
せめてボーファイターにしろよ

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